自己中心で刹那的−日本の高校生 米中に比べ際立つ低さ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050316-00000001-san-soci&kz=soci


20代前半の感覚としては、アカな上に「中華思想」を数千年前から抱えている国と、公用語を理解できる数が統計上人口の半分しかいなかったり民族バラバラなもんだから国民意識を煽る必要があったりする国と比較してナショナリズムが育ってないのは当たり前というか好ましいとすら思う。

しかしながら、明らかに問題である「自己中心的で刹那的」という傾向とこの発育不足との関連は無視できない。
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」やら「情けは他人のためならず」なわけで、自分の生涯を充実させるためには自己と他者への投資は最重要だ。「自己中心的で刹那的」とは投資ができないということで、破滅する確率が高い。で、こういった意味での投資の中には「国家への貢献」も含まれる。

実際に、国への愛情やら忠誠心やらが国力に反映されるかどうかの議論は別にして、国力の低下は当然ながら大問題だ。古今東西、負け組みに属してしまった後からでは、自分の努力と才能をいくら発揮してもシンドくて、勝ち組連中に比べて割りに合わない。国は選択の余地がほぼなく属す集団なわけで、それが負け組みだと凄まじいハンデを負うのは明白だ。バブリーな時代の超勝ちまくり時代は終わってもまだまだ世界的に勝ってる国に生まれた幸運を理解してその維持に努力したいものだ。